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東京高等裁判所 昭和37年(う)2886号 判決 1963年5月08日

控訴人 原審検察官

被告人 田村博己

弁護人 田中義之助 外二名

検察官 磯山利雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

但し、本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

押収の自動車運転免許証一通(東京高等裁判所昭和三十七年押第一一一九号の1)はこれを没収する。

理由

本件控訴の趣意は、東京地方検察庁検察官検事山本清二郎名義の控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、被告人名義の上申書、被告人の弁護人田中義之助、同湯浅実、同渡辺真一名義の答弁書に記載されているとおりであるから、いずれもこれを引用する。

検察官の控訴趣意について

所論は先ず原判決は公訴事実中「被告人が原判示第二の偽造自動車運転免許証を携帯して昭和三十五年六月頃から同三十七年七月五日までの間東京都内において自家用普通自動車第三す八九七七号等を運転し、もつて偽造公文書を行使した」という点について、被告人が右日時、場所において自動車を運転した際、本件偽造にかかる運転免許証を携帯していた事実を認めながら、これを偽造公文書の行使罪を構成しないという理由によつてこれを無罪としたのであるが、それは法令適用の誤りで、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるのみならず、偽造運転免許証を携帯し自動車を運転した場合、偽造公文書行使罪が成立するとした最高裁判所の判例(昭和三十六年五月二十三日最高裁判所第三小法廷決定)に違背しているというのである。

よつて按ずるに、被告人が原判示自動車運転免許証の偽造後、昭和三十五年六月頃から昭和三十七年七月五日までの二年余の間運転免許を受けないで引き続き普通自動車を東京都内等において運転し、右運転の際道路交通法(その施行前においては道路交通取締法)の規定に基づき警察官から運転免許証の提示を求められた場合は、右偽造免許証を恰かも真正なもののように装つて警察官に提示してその閲覧に供し、自分の無免許運転の事実をかくそうという考の下に、絶えず右偽造運転免許証を携帯していたものであることは、原判決の認定しているところであつて、証拠に徴しても間違ないと認められるところ、元来道路交通法第九十五条第一項(その施行前においては道路交通取締法第九条第三項)によれば、自動車運転の際には、当該自動車等に係る運転免許証の携帯義務が課せられており、同法第六十七条第一項(道路交通取締法第二十三条の二第二項)によれば、特定の場合には警察官がその提示を求めることができるとし、それに応じない場合につき罰則を設けているのであつて、自動車運転の際における免許証の携帯は、自動車運転の不可欠の要件であるというべく、自動車の運転行為ということは、通常の場合自動車運転免許証を携帯して運転しているということを外部に対して表明する行為であるともいい得べき筋合であるから、自動車運転に際し運転免許証を携帯しているということは、それ自体運転免許証という公文書をその本来の用法に従つて行使しているものであるというを妨げないというべきである。而して、これを本件についてみるに、本件では偽造運転免許証を携帯しながら自動車を運転し、警察官から提示を求められた場合には、これを提示してその運転が正当であることを主張しようとし二年間も運転していたが、現実に警察官の要求を受けて提示するという場面には遭遇しなかつたのであるが、かくの如き場合でも、外部に対し右不正の運転免許証を正当なものと主張し、要求を受ければ現実にこれを閲覧させることを辞さないということを表明しているというべきで、換言すれば、一定の場合に警察官に対しこれを閲覧し得べき状態においているともいい得べきであり、通常の偽造文書行使の態様である相手方に対する提示とか交付、いわゆる備付文書の行使の場合における備付と同視すべき行為があつたといい得べきであるから、この限度においていわゆる偽造公文書である偽造運転免許証の行使があると称して差支がないものと認められ、それ以上他人に対する何らかの外部行為によつて、右偽造運転免許証を閲覧し得べき状態におくことが行使罪成立のため必要であるというべきではない。原判決はこの点について、文書の行使の方法として提示又は交付或いは備付行使という態様の存することについて説明し、偽造運転免許証を携帯して運転をしたに過ぎない場合には、その何れにも該当しないから、文書の行使があるとするには足りないと論じているが、それは文書の行使ということに関する従来の解釈に捉らわれ過ぎた観があり、自動車運転の場合における運転免許証の携帯という特殊の事態における文書の行使ということを解明するに欠けるところがあるものといわなければならない。

果して然らば、本件においては、原判決の認定する事実を前提としても、偽造運転免許証という偽造公文書の刑法第百五十八条第一項第百五十五条第一項に該当する行使の所為があつたものというべきであり、かく解することは所論引用の最高裁判所第三小法廷の昭和三十六年五月二十三日付決定に副う所以でもあると認められるところ、前段説明のとおり原判決は以上と判断を異にし、右公訴事実については被告人は無罪たるべきものとしたのであるから、原判決には刑法第百五十八条の解釈、適用を誤つた違法があるものといわなければならない。すなわち、検察官の所論は結局その理由があるに帰し、他の論旨につき判断を加えるまでもなく原判決はこの点において破棄を免れないというべきである。

よつて、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条に則り、原判決を破棄すべく、但し本件は訴訟記録並びに原裁判所において取り調べた証拠によつて直ちに判決をすることができる場合であると認めるので、同法第四百条但書により当裁判所において更に左のとおり被告事件につき判決をするものとする。

本件について、当裁判所が認めた罪となるべき事実は、原判示第二の事実中、原判示公文書を偽造したとある部分以降を「被告人は昭和三十五年六月頃から同三十七年七月五日までの間右偽造の普通自動車運転免許証を携帯して、東京都内等において、自家用普通自動車第三す八九七七号等を運転し、もつてこれを真正に成立したもののように装い行使した外右七月五日午後十時頃東京都江東区深川一丁目一番地先の路上において、警視庁中央警察署司法巡査斉藤甲子男に対し、これを真正に成立したもののように装い提出して行使し」と追加訂正する外、総べて原判決が適法に確定したところと同一であるから、これを引用すべく、右追加部分は原判示第二事実について原判決が掲げた各証拠によりこれを認むべきものとする。

法律に照らすに、被告人の原判示第一の所為は、刑法第二百三十五条に、同第二(但し、前段認定の如く追加訂正したもの)の所為中公文書偽造の点は、同法第百五十五条第一項に、同行使の点は、同法第百五十八条第一項第百五十五条第一項に、同第三の(一)の所為は、道路交通法第六十四条第百十八条第一項第一号に、同(二)の所為は同法第六十五条第百十八条第一項第二号同法施行令第二十七条に、同第四の二個の所為は、いずれも刑法第二百十一条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、同第五の所為は、道路交通法第七十二条第一項前段第百十七条にそれぞれ該当するところ、原判示第二の公文書偽造罪と同行使罪との間には手段結果の関係があるので、刑法第五十四条第一項後段第十条により犯情の重い偽造公文書行使罪の刑に従い、原判示第三の(二)の罪と原判示第四の二個の業務上過失致傷罪とは、いずれも一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法第五十四条第一項前段第十条により犯情の重いスペンサー、エム、パールスタインに対する業務上過失致傷罪の刑に従い、右各所定刑中道路交通法違反罪については懲役刑を、業務上過失致傷の罪については禁錮刑をそれぞれ選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文第十条により最も重い偽造公文書行使罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で刑の量定をすべきものである。而して、本件が自動車の運転に関する多種多様な犯罪を網羅しており、犯情の軽くないものであるということは、原判決も認めているところであり、被告人に対してはきびしい非難が向けられなければならないことも多言を要しないところ、検察官の所論は、被告人の所為はその動機、態様、結果の重大なこと等において、情状酌量の余地の存しないことを主張し、原判決が被告人に対し懲役刑の執行を猶予した措置を難ずるものであつて、その所論は傾聴に値すべきものがあり、被告人の本件犯罪に対しては、輙く刑の執行猶予を与えるべきではないと考えられる節もあるが、一面、被告人にも斟酌すべき事情があることは原判決の説明するとおりであり、記録によれば、被告人は犯罪後において潔よく自己の非を認め、自動車セールスマンの職を辞し、今後自動車の運転はもちろん、自動車に関係する仕事には従事しないと誓い、原判示第四の事故の被害者らに対する治療費や慰藉料、損害賠償の支払いにも誠意をつくし、示談を遂げているのであつて、これらによつても被告人の反省、悔悟の実があることはこれを認め得る外、なお、被告人の配偶者、肉親らにおいても、被告人の更生のための努力に協力をおしまないことを誓つている事情も認められるので、これらの有利な事情のある被告人に対しては、その罪責に対し懲役二年の刑を科すべきではあるが、実刑の執行はこれを猶予し、被告人の自重自戒にまつて更生の実をあげさせるべきものであるとした原判決の量刑は、これを果断な措置として首肯し得ない限りではないというべきであるから、これを強ち量刑不当として非難の対象とするべきではないと認め、当審においてもこの原判決の態度を踏襲すべきものとし、よつて被告人を懲役二年に処した上、刑法第二十五条第一項を適用して本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予することとし、押収の自動車運転免許証一通(東京高等裁判所昭和三十七年押第一一一九号の1)は原判示第二の偽造公文書行使の犯罪行為の組成物件で、何人の所有をも許さないものであるから、同法第十九条第一項第一号第二号によりこれを没収すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 三宅富士郎 判事 東亮明 判事 井波七郎)

原審検察官の控訴趣意

第一点法令適用の誤りについて。

原判決は、公訴事実のうち、窃盗、有印公文書偽造、偽造公文書行使(昭和三七年一〇月三〇日第四回公判において、公訴事実第二について追加された訴因部分-記録二丁、二一〇丁-)、業務上過失傷害、道路交通法違反の点については、公訴事実と同一の事実を認定して有罪としたが、判示第二の偽造自動車運転免許証を携帯して、昭和三十五年六月頃から昭和三十七年七月五日までの間東京都内等において、自家用普通乗用自動車第三す八九七七号等を運転し、以て偽造公文書を行使したとの点(偽造公文書行使の原訴因)については、被告人が右のとおりの日時、場所において自動車を運転した際、本件偽造にかかる運転免許証を携帯していた事実を認めながら、「偽造公文書行使罪の保護法益が公文書に対する公共の信用であることから考えると、一般に同罪の構成要件該当行為といえるためには、それが単に偽造文書の本来の用法に従つて使用したというのみでは十分でなく、その文書の使用が公共の信用を害する態様でなされることを要するものであるというべく、そのためには所持者の他人に対する何らかの外部的行為によつて偽造文書が他人に閲覧しうべき状態におかれることが必要である。……偽造運転免許証を携帯して運転したにすぎない場合には、警察官等他人がこれを自由に閲覧しうる状態にはまだ至つておらず、そこに至るためには更に提示又は交付等所持者の自由意思に基づく行為の介在が必要であるという点で備付行使と異るものであり、これをもつてして現実の提示又は交付と同視しうる外部的行為ありとするを得ないものである。よつて、本件公訟事実中偽造自動車運転免許証を携帯して運転し、もつて偽造公文書を行使したという点については被告人は無罪であると判断するわけであるが、右事実は、判示第二の公文書偽造罪と手段結果の関係にあり、かつ判示第二の偽造公文書行使罪と包括一罪の関係にあるものとして起訴せられたものと認められるから、主文において特に無罪の言渡しをしない」旨判示した。

しかしながら、原判決には、左記のとおり法令の適用の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一、原判決が自動車を運転する際の偽造運転免許証の携帯を刑法第一五八条第一項にいう行使に当らないと判断したことは同条の適用を誤つたものである。

(一) 原判決は刑法第一五八条第一項にいう偽造公文書の「行使」といえるためには、それが単に偽造公文書の本来の用法に従つて使用したということのみでは十分でなく、その使用が文書の公共の信用を害する態様でなされることを要し、そのためには所持者の他人に対する何らかの外部的行為によつて偽造文書が他人に閲覧しうべき状態におかれることが必要であると判示している。

そこで、原判決がそれだけでは十分でないと判示した運転免許証なる公文書の本来の用法とは何であるかがまず確定されねばならない。

道路交通法は、第八四条以下において自動車等の運転免許証取得について厳重な要件を要求していること、同法第九二条第一項前段では免許は運転免許証を交付して行うと規定し、運転免許が要式行為であり、免許証の交付が運転免許の効力発生要件となつていること、同法第九五条第一項は免許を受けた者は、自動車等を運転するときは、当該自動車等に係る免許証を携帯していなければならないと規定し、運転免許証の携帯義務を課していること等からすれば、道路交通法は、具体的に自動車を運転しうる要件は、運転免許証の交付を受けた運転免許取得者の当該自動車に係る運転免許証の携帯によることとし、無免許運転による道路における危険を防止し、交通秩序の安全を図つているものと解せられる。もし、運転免許証の不携帯を容認するときは、運転免許義務制度を確保することは不可能となろう。

自動車運転免許証の携帯は、運転免許を受けた者が自動車を運転する際の不可欠の要件である。すなわち、自動車運転免許証なる公文書の本来的用法は、自動車運転のための携帯にあり、自動車運転免許証の携帯は自動車の運転と不即不離の関係にある。

原判決は「行使」といいうるためには、本来の用法に従つて使用したのみでは十分でなく、その使用が文書の公共の信用を害する態様でなされることを要し、そのためには、所持者の他人に対する何らかの外部的行為を必要とし、偽造運転免許証を携帯して自動車を運転したというだけでは、かかる外部的行為がないから「行使」には、該らない旨判示しているが、道路交通法は、自動車の運転について、免許制度を採用し、自動車を運転する際、その自動車に係る運転免許証の携帯を義務づけていることから、自動車の運転という一定の外部的行為があれば、当然に運転行為と密接不可分の関係にある自動車免許証の本来的用法である携帯という行為がそこに存在し、その自動車の運転は、運転免許証を取得した者の自動車運転免許証を携帯した運転であるとの強い推定が働くのである。したがつて自動車運転中の自動車免許証の携帯は、運転行為とあいまつて運転免許証の使用という第三者に対する外部的行為であると解される。

偽造文書行使罪は、文書の真正に対する公の信用を害することをもつて本質とするから、文書の真正に対する公の信用を害する危険性があれば足りるのであるが、右にのべたごとく、運転免許証の本来的用法は、自動車を運転する際に携帯することにあり、運転行為に結び付いた運転免許証の携帯という外部的行為がある以上、運転免許証の真正に対する公の信用を害する危険性が存すると言わなければならない。

原判決は、偽造運転免許証を携帯し、自動車を運転する場合については、一応これを偽造運転免許証の本来的用法と認めながらも、それのみでは文書に対する公の信用を害する態様での使用ではないとし、更に「現実の提示又は交付」という外部的行為を必要とする旨判示しているが、以上のべたとおり、偽造運転免許証を携帯し、自動車を運転することが、まさしく運転免許証の真正に対する公の信用を害する危険性のある外部的行為に外ならないのであつて、原判決が、これを外部的行為と見ないことは理解に苦しむのである。原判決は、運転免許証等の「携帯」文書、戸籍簿等の「備付」文書等、文書にはその目的・性質によつて使用方法の異るもののあることを一応念頭において論を進めながら、偽造運転免許証の「行使」といいうるための外部的行為の解釈について結論を出す段階で、「第三者に閲覧しうべき状態におく」という一般の「提示」文書の属性にとらわれ、結論だけを異にした判断を下しているように思われる。

原判決が刑法第一五八条第一項について示した解釈よりしても、偽造運転免許証を携帯し自動車を運転した場合は、同条にいう偽造公文書の行使に該当するとの結論が出るべきであるのに、これと相反する判断を示した原判決は法令の適用を誤つたものである。

(二) 原判決はなお、「被告人が右偽造運転免許証を警察官に対し閲覧しうべき状態におく外部的行為があつたというためには、被告人が警察官に対し判示第二において認定したとおり、現実にこれを提示した事実がなければならないのであつて、被告人が自動車の無免許運転中偽造運転免許証を単に携帯していただけの段階においては、たとえ警察官の求めに応じいつでもこれを提示する考えであつたとしても、いまだもつて警察官に対してもその他いかなる他人に対しても右偽造運転免許証を真正なものとして閲覧しうべき状態におく外部的行為があつたとするには足らず、従つて偽造公文書行使罪を構成しないものと当裁判所は解するのである。もつとも文書の行使の方法としては現実の提示又は交付のみに止まらず、備付行使も含まれることは判例学説の認めるところであるが、備付行使の場合は公務所その他の場所に文書が備え付けられて関係人等の他人が随時閲覧しうべき状態におかれた場合であり、しかも行為者としては自己のなすべき実行行為を完了し、すべてが自己の手を離れたのであるから、傭え付けた時をもつて、他人に対し該文書を真正な文書として閲覧しうべき状態におく外部的行為があつたとして現実の提示又は交付と同視することができるのであつて、本件のように偽造運転免許証を携帯して運転したにすぎない場合には、警察官等他人がこれを自由に閲覧しうる状態にはまだ至つておらず、そこに至るためには更に提示又は交付等所持者の自由意思に基づく行為の介在が必要であるという点で、備付行使の場合と異なるものであり、これをもつてして現実の提示又は交付と同視しうる外部的行為ありとするをえないものである。」と判示している。

確かに、戸籍簿・会社の帳簿等の文書と自動車運転免許証とは、文書の性質を異にし、本来的用法も行使の態様も異なるのであるが、前述のように自動車運転免許証についても、その性質・用法に即した独自の行使の態様というものが存在するのであるから運転免許証の行使態様について、戸籍簿等の文書のそれとを比較すること自体は余り意味はない。しかし、仮りに、文書の行使態様について、運転免許証と戸籍簿、会社の帳簿等の「備付文書」とを比較してみると、これ等の備付文書は、その性質上、広く一般に又はその備付により特殊の関係を有する人(利害関係人)に対して自由に閲覧させることが、その本来的用法であるから「備付」を中心として行使ということが考えらるべきであるのに反し、運転免許証は、その本来的用法が前述のとおり運転のための携帯にあるから、運転する際における運転免許証の携帯を中心にしてその行使が考えられなければならないのである。

戸籍簿等の「備付文書」の場合行使ということがいえるためには、現実に人が戸籍簿や会社の帳簿等を閲覧したと否とは問わず、一般人又は利害関係人に対し閲覧しうべき状況においたということをもつて足りるのである。

一方、自動車運転免許証においては、警察官が道路交通法第六七条第一項により、同法第六四条ないし第六六条に違反した運転と認めた場合には、運転者に運転免許証の提示を求め得るのであり、運転者にも運転免許証の携帯義務とは別に同証の提示義務を課し、その提示拒否に対して、運転免許証の提示拒否罪をもつて強制しているのである。換言するならば、自動車運転中携帯されている運転免許証は、一定の要件がある場合、関係人たる警察官に対して随時閲覧し得べき状況におかれているということに外ならない。

とすれば、戸籍簿等の備付けと自動車運転の際の運転免許証の携帯とのいずれの場合も、第三に対して閲覧し得べき状況におかれているという点においては同一である。ただ閲覧し得る人の範囲及び要件において、両者の間に広狭の差があるのみで、この差は本質的なものではない。戸籍簿等の備付けをもつて行使する以上、運転中の運転免許証の携帯もまた行使に当るといわざるを得ない。したがつて、偽造戸籍簿の備付けの場合に文書の公信性を害する危険のある行使に該当するというならば、自動車運転中の偽造免許証の携帯の場合もまた同様文書の公信性を害する危険が存するのであつて、刑法第一五八条第一項にいう行使に該当するといわねばならないのである。

原判決は「備付行使」が「現実の提示又は交付」と同視し得べき論拠として、右に述べた「随時閲覧しうる状態におかれていること」の外に「行為者としては自己のなすべき実行行為を完了し、すべてが自己の手をはなれた」ことをも挙げている。

なるほど、携帯行使の場合について考えてみると、一定の要件が備つた場合でも、警察官に偽造運転免許証を提示するか否かは、行為者の自由意思にかかつており、提示拒否罪を甘受すれば、偽造運転免許証の提示をも拒み得るし、或いは偽造の情を打ち明けて提示し得るという意味では、未だ行為者としては実行行為が自己の手を離れたとはいえないかも知れない。ところで、備付行使の場合について考えてみると、備付けという行為に限つていえば、備付行為を実行したときに、その行為は完了し、行為者の手から離れたといい得るかもしれないが、偽造の「備付文書」が備付けられその後引続き文書の公信性が害されているという一定の違法状態(法益侵害状態)は継続しているのであり、この点から見れば「備付行使」の犯罪類型はまさしく講学上のいわゆる「状態犯」ともいうべきものである。

即ち偽造文書を備付けて、利害関係人に閲覧し得る状態においたと同時に偽造文書の行使罪を構成し、一旦備付けた以上はその後これを破棄又は抹消しても既に成立した行使罪には何等の消長がないし、又、「備付け」という法益侵害状態が継続している限り、文書の公信性を害する危険な行為は完了していないのであつて、原判決のように、「備付け行為」の外形部分のみをとらえて被告人の行為が完了したとはいい得ないのである。

このように見てくると、自動車運転中の偽造免許証の携帯行為は、求められた場合はこれを警察官等に提示するつもりで、その携帯行為の実行行為に入り、携帯をはじめたときに、偽造文書の行使罪を構成し、自動車運転中、同様意思で同証の携帯を継続している限り、文書の公信性を害する法益侵害状態が継続しており、偽造の情を打明けて警察官に提示すればそのときに、文書の公信性に対する危険な行為が完了し、もし真正なものとして提示すれば閲覧し得る危険状態がより高まつたにすぎず、依然として文書の公信性を害する危険な行為が継続するということに外ならないことが明らかであろう。

原判決は、或いは又「自己のなすべき実行行為を完了しすべてが、自己の手をはなれたのであるから」、備付けたときをもつて、同時に行使罪が成立し、閲覧又は謄本等の下附申請を待つて行使となるのではないという意味で、「現実の提示又は交付と同視しうる」外部的行為があつたとも考えているようであるが、これを携帯行使の場合について考えてみると、先にも触れたとおり、自動車運転に際して偽造運転免許証の携帯運転行為に入つたときに、行使罪が成立し、その後一定要件下で、警察官等に呈示するときに第三者が閲覧しうる危険状態がより高まつたにすぎず、警察官等に呈示をしたときにはじめて行使となるのではないという意味で、「携帯運転行為」の実行行為を開始したときに、「現実の提示又は交付と同視しうる」外部的行為があつたとも言い得よう。

以上を要するに、「備付行使」をもつて文書の公信性を害する危険のある行使に該当するというならば、自動車運転中の偽造運転免許証の携帯の場合もまた、同様文書の公信性を害する危険が存するというべきであり、この両者を区別する本質的な差異はないのである。

二、原判決は、偽造運転免許証を携帯し自動車を運転した場合、偽造公文書行使罪が成立する旨判示した最高裁判所の判例(昭和三十六年五月二十三日付最高裁判所第三小法廷決定-最高裁判所判例集第一五巻第五号八一二頁)に違背し、刑法第一五八条第一項の偽造公文書の行使の解釈を誤つた違法がある。

原判決は、理由中では、右最高裁判所の決定について何ら特段の言及はしていないのであるが、本件の論告において、検察官は、右最高裁判所の決定のあることを指摘し、原審裁判所の注意を喚起していたのであるから(記録一七八丁裏)、原判決においてもこの決定を十分に考究したうえ敢えて前記の如き判断をしたことが認められる。

原判決は特段の説示はしていないので、その真意は忖度する外はないが、恐らく右最高裁判所の決定については、偽造運転免許証を携帯して自動車を運転したことをもつて直ちに偽造公文書行使罪に該当する旨の判断を示したものとは解していないように見受けられるから、前記決定の出されるに至つた当該事件の審理経過について検討してみることとする。

第一審では山村富士雄(犯人)が、他人の偽造した運転免許証を偽造であることを知りながら約一年間自動車を運転するに際し携帯したことをもつて行使罪の成立を認め、懲役六月の言渡しをしたのに対し、右山村から偽造であることの知情の点を争つて控訴し、控訴審は、山村の主張を排斥した上、職権で罪数の点について判断をなし、約一年間の運転期間中に他の確定判決があるから、二個の行使罪が成立するとして懲役二月と同四月の二個の刑を言渡した。これに対し、山村から上告趣意として、原審の証人不採用の訴訟法違反を理由とする憲法第一一条、第三七条第二項違反、犯意に関する刑事訴訟法第四一一条第三号の事実誤認、二罪としたのは不利益変更禁止の原則に反するという法令違背を主張して上告した。これに対して、最高裁判所第三小法廷は一人(垂水裁判官)を除いて他の裁判官全員一致の意見で、いずれも刑事訴訟法第四〇五条の上告理由に当らないとした上、記録を調べても同法第四一一条を適用すべきものとは認められないと判断しており、従つて恰も携帯が行使となるかどうかが直接の争点とはなつていないかの如くである。しかし、右決定には垂水裁判官の少数意見が附されており、その内容は「運転の際、偽造運転免許証を携帯しているだけでは、未だもつて他人が随時これを真正な文書として閲覧できる状態においたというに足りない、他人に対する外部的行為がないから、偽造運転免許証「有印公文書」の行使罪には当らない。刑事訴訟法第四一一条第一号によりこれを破棄し無罪を言渡すべきである。」という趣旨のものである。かように、偽造運転免許証を携帯して自動車を運転した事実をもつて刑法第一五八条第一項にいう行使に該当しないとする少数意見が附されていることは、当然、多数意見においても偽造運転免許証を携帯して運転した事実がはたして刑法第一五八条第一項にいう行使に該当するか否かを問題とし、判例集要旨欄記載の如く偽造自動車運転免許証を携帯し自動車を運転した事実をもつて刑法第一五八条第一項の行使に該当するとの法的判断を示したものに外ならないというべきである。もし、多数意見が、右行使罪に該当しないという判断を有していたのであれば、右事件は全面的に無罪となるべき筋合いのものであるから、破棄しなければ著しく正義に反するとして、これを破棄した筈である。

なお、前記最高裁判所の決定の対象となつた偽造有印公文書行使事件は旧道路交通取締法施行当時のそれであるが、運転免許証携帯義務を規定していた同法第九条第三項は現行道路交通法第九五条第一項と同趣旨であつた。

以上により原判決は、刑法第一五八条第一項の行使について、右判例に反する法解釈をなしたものであつて、法令の適用を誤つたものである。

以上一、二の理由によつて原判決が偽造運転免許証行使被告事件についてした刑法の解釈適用は明らかに誤りであつて、結局、原判決には刑事訴訟法第三八〇条にいわゆる法令適用の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明白であると信ずる。

(その余の控訴理由は省略する。)

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